空の器(鏡)を手段に依らず見繕い、提案(設置)するのが詩人(職業として)。もしくは目撃されるのが詩人(職業として)。

かつて、「このような文章に詩を感じた」のであり、

そのような文章の形に詩が宿っているわけではない。

かつてネッシー湖にいた不思議な生き物がネッシーであって、

ネッシー湖で見つかる生き物が全て不思議な生き物なのではない。

的な。勘違いしてるよ。

ただし、生き物はみんな不思議。

ATMでいろいろして振り返ったら、人がなかった列を作っていた。

詩は詩の象徴

このhpに書いた詩に関するものがけっこうあった

詩の過去のアイデアを自分の参照

アイデアを振り返ってみよう

にわかアートかぶれは悪魔にそそのかされている。
梨木さんの家守綺譚にすくわれる。

お皿、10種類になりました。

いったい何に怯えているのか。破壊衝動がおさまらないですね。
でもあんまり唐突すぎるものには、人はあんまり反応できないと思う。

自分のタイミングで、自分の中の何かを破壊して回ったところで、人がそれに共感や理解ができるわけないと思う。

むしろ、それでも遅れずについてくる人がいたら、その人がすごい。何人か、そういう人いてくれてる気がする。それは勘違いかもわからないけれど。おもしろがってくれてたりとか、応援してくれている気がする。もしくは破壊衝動に覚えがある人なのかもしれない。

自分は、定型や固定観念や常識のような思想や思考回路や流れをさっちしたら、何故かそこから逸脱しようとしてしまう。でももしかしたらこれって、まっとうなことなんだろうか。みんなはどうなんだろうか?

否定したものを否定したら、最初の肯定になるとは限らないのが奥深いな。
普通を回避したところで、それは物凄く普通なことだ。

普通でいることこそ、逸脱することの時もある。

逸脱しかできないことは、逸脱じゃない。

自分の中のこの指向性は、何かへの恐怖心なんだろうか。
それとも好奇心のようなものなのだろうか。
でもなんか、自分の逸脱の仕方に既視感を覚えてきてる。
だからどんどん逸脱ではなくなってきている。
普通になってきている。

名を入れるのは、客観してますよ。というはったりになるんじゃないかな。
ドラマですよ。映画ですよ。作品ですよ。

けさモーニング。

低速、低トルク、低慣性の手ろくろの威力を発揮していこ。

人の器の写真に絵を描いています。

窯変ならぬ人変は、モチーフ彫りの繰り返しの

モチーフを彫って、土が完成するといったようなこ

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